2011-01-01から1年間の記事一覧

魔子幻想〜魔子の淵源を辿って

マコという呼び名は真理子や雅子、牧子などの三文字の名前を短くした愛称や名前として親しまれてきた。昭和に子供時代を過ごした人ならば、必ず周りにマコちゃんと呼ばれた子がいたはずだ。しかしひとたび漢字で魔子の字をあてると、平凡な呼称がにわかに不…

邦題の金字塔「勝手にしやがれ」は川内康範=作である

ジャン・リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」は昭和35年(1960)3月26日に日本公開された。配給したのは新外映という会社で、正式名を新外映配給株式会社といい、フランス映画輸出組合(SEF)がフランス映画の日本輸入業務を独占していたものが、GHQの司…

炎加世子からみた松竹ヌーベルバーグ(3)

「太陽の墓場」が封切られたのが昭和35年(1960)8月9日、「日本の夜と霧」が同年10月9日でわずか二ヶ月の期間に炎加世子は四本の映画にほぼ主役級で出演予定だった。予定だったというのは「日本の夜と霧」の併映作品、吉田喜重監督の「血は渇いている」に出演…

炎加世子からみた松竹ヌーベルバーグ(2)

高見順のエッセイ集、「異性読本」に“ズベ公とはどんな女だったか”という一節があり、こんな書き出しで始まっている。「浅草のフランス座が改築して東洋劇場という名になって、その開場記念番組というのが新聞に出ていた。その出しもののひとつに“ずべ公天使…

炎加世子からみた松竹ヌーベルバーグ(1)

大島渚が書いた「我が青春残酷物語」というエッセイがある。大島の第二作「青春残酷物語」が好評に迎えられ、第四作「日本の夜と霧」に取り組む前に発表された、「我が青春残酷物語」というタイトルに相応しい自身の大学時代からの苦闘と苦悩の日々をつづっ…

ロカビリーブームの造り方(3)

小坂一也は第一回日劇ウエスタン・カーニバルが開かれる前年の昭和32年(1957)に「星空の街」で映画初主演をはたしている。黒澤明「蜘蛛巣城」の添え物映画とはいえ主演作であることには変わりない。演じる役名も小坂一也をもじった小村一也となっており、高…

ロカビリーブームの造り方(2)

毎日新聞社の告知広告にはロカビリイとあり、朝日新聞社の告知には何故ウエスタンシンガーとなっているのか?それはロカビリーという言葉がまだほんの一握りの人たち以外には全く知られていなかった言葉だったからで、ロカビリーは第一回日劇ウエスタン・カ…

ロカビリーブームの造り方(1)

第一回日劇ウエスタン・カーニバルは昭和33年(1958)2月8日に開催された。ロカビリーブームのピークを示す出来事として世相年表などには必ずのっている。なぜウエスタン・カーニバルの前に日劇が入るのかというと、ウエスタン・カーニバル自体は昭和28年(1953…

「添え物映画」伝説 〜鈴木清順と中平康(2)

広告(3)。昭和35年(1960)11月に封切られた「くたばれ愚連隊」から昭和37年(1962)12月の「俺に賭けた奴ら」まで、この時期には和田浩治主演ものが集中している。「くたばれ愚連隊」「東京騎士隊」の二作に併映作品の表示がないのは、共に益田喜頓主演の「刑事…

「添え物映画」伝説 〜鈴木清順と中平康(1)

清順は怪しい。それは彼の映画ばかりではなく、人としてもかなり怪しい。もしかしたら狐狸妖怪のたぐいかもしれない。最近の結婚報道をみてもさすがに「ツィゴイネルワイゼン」の監督だけあって、世間体などという俗人がこだわる分別ともはなから無縁なのだ…

挽歌〜ムード広告と久我美子に漂うムード

小説「挽歌」は昭和31年(1956)暮れに発売され、翌年にはベストセラーとなり最終的には72万部を売り上げた。昭和32年(1957)9月には久我美子主演、五所平之助監督で映画化されている。配給した松竹としては「君の名は」に継ぐ戦後二番目の興収をあげた大ヒット…

太陽族映画(その2)〜 大宅壮一と女太陽族映画

太陽族という言葉は大宅壮一による造語だということになっているらしい。斜陽族と同じで小説のタイトルに「族」を繋げただけのお手軽な造語で、キャッチーでひねりの効いた新語を生み出してきた大宅にしては、この太陽族という言葉はいかにも出来が悪い。大…

太陽族映画(その1)〜プロデューサー水の江滝子

太陽族映画(当時は太陽映画といった)の全体像を見やすくするためにチャートを作成したのでご覧になって頂くとお分かりになると思うが、太陽族映画というのは歴史的事実を踏まえて厳密に云うと、昭和31年(1956)の5月から10月の僅か半年の間に公開された6本…

丸山明宏、にっぽん製シャンソンという魔界

丸山明宏(美輪明宏)が初めてマスコミに登場するのは昭和32年(1957)春のこと。同年には時の人といった勢いで新聞雑誌に取り上げられるが、翌年になると五所平之助の映画「蟻の街のマリア」で、化粧もせずに男役で出演したことが話題になったぐらいでマスコ…

石井輝男とモード〜ラインシリーズをめぐって

新東宝末期に製作されたラインシリーズという映画がある。昭和33年(1958)の「白線秘密地帯」から始まり「黒線地帯」「黄線地帯」「セクシー地帯」と続き、昭和36年(1961)の「火線地帯」までの五本の映画の総称である。監督は石井輝男(「火線地帯」の武部弘…

働く女性〜モダンガールからOLまで

働く女性いわゆる職業婦人のことが最初に雑誌記事になったのは、大正12年(1923)に雑誌「婦人画報」に掲載された記事である。大正12年に完成したばかりの丸ビル(建て替えられる前の旧丸ビル、場所は同じ東京駅の丸の内口)のオフィスで働く新しい女性たちを…

アヤコという名のシェパード、飼主は吉田茂

シェパードは西洋犬の中でも昭和初期からよく知られた存在だった。それは飼い犬としてではなくもっぱら軍用犬としての軍功を通してである。昭和9年(1934)発行の中央公論誌に掲載された「シェパード明暗色」と題するエッセイでは、二年前に起きた五・一五事件…

総天然色が消えた日

総天然色という懐かしい言葉を久しぶりに眼にしたのは、「総天然色ウルトラQ」というソフトが発売になるというニュースだった。モノクロオリジナルのカラーライズを総天然色と名付けたのは、四文字熟語めいた胡散臭さといささか面妖な言葉の響きと相まって、…