アヤコという名のシェパード、飼主は吉田茂

シェパードは西洋犬の中でも昭和初期からよく知られた存在だった。それは飼い犬としてではなくもっぱら軍用犬としての軍功を通してである。昭和9年(1934)発行の中央公論誌に掲載された「シェパード明暗色」と題するエッセイでは、二年前に起きた五・一五事件において、犬養(犬飼)首相の部屋にもしシェパードが居たならば非業の死を遂げることはなかっただろう、と書かれている。命令一下、敵に体当たりを食らわせ喉を狙うように訓練されていた軍用犬。戦時下において愛玩犬は姿を消し、国策として軍用犬シェパードの全盛となる。

そんなシェパード像に変化が起きたのは戦後の昭和31年(1956)から日本でも放映された米国製TVドラマ「名犬リンチンチン」からだろう。TVドラマのリンチンチンは四代目で、初代リンチンチンは第一次世界大戦中に米兵のリー・ダンカンという人がフランスで防空壕の中から見つけてアメリカに連れて帰った雄のシェパード。リンチンチンという名前はフランス娘が兵隊に贈る木綿糸や毛糸で作ったお守り人形のことらしい。ダンカン氏の隣人が高速度撮影機の製作者だったという偶然から映画に出るようになり、大正12年(1923)からスタートして20本の映画出演を果たす。先に挙げた昭和9年(1934)に書かれたシェパードに関するエッセイではリンチンチンに触れられていないことから、映画版のリンチンチンは戦前の日本では公開されていない可能性が高い。主人公が危機一髪のところへ犬が救助に駆けつける、という犬映画の全ての基本形が既にここにあった。

TVドラマ「名犬リンチンチン」ではさらに飼主が子供という最強の組み合わせとなる。同時期に製作されたコリー犬が主人公の米国製TVドラマ「名犬ラッシー」も子供と犬の物語だった。敵に体当りし喉を狙うという恐ろしい軍用犬から、子供に飼われ子供を危機から間一髪のところで救いに来るという心優しい飼犬へとイメージの大転換を遂げることとなるシェパード。「名犬リンチンチン」がTV放映され始めた翌年の昭和32年(1957)に、「名犬物語 吠えろシェーン」というシェパードを主人公とした動物映画がさっそく大映で映画化されている。このシェーン号というシェパードは大映カメラマンの宗川信夫の愛犬で、昭和31年度全日本ドッグショー準優勝犬。昭和34年(1959)からスタートした大映テレビ室製作のTVドラマ「少年ジェット」でもシェーン号として登場する。

首相時代から愛犬家として知られた吉田茂が政界を引退する直前にこのシェーン号(オス)の血統を引いたシェパードを欲しがった。シェーン号はすでに徳川義親氏のところへムコ入りし、二頭生まれたうちの一頭は明仁天皇(当時は皇太子)の愛犬となり、もう一頭は警察犬となっていた。がっかりする吉田氏に朗報が入ったのは、そのシェーン号の子供が若尾文子の飼っていたシェパードの愛犬ベニーとの間で生まれることを知った時だった。こうして目出度くシェパードが取り持つ縁組が若尾家、吉田家の間で実現の運びとなる。

「はじめて生まれた子どもには頭文字にAをつかうものだから、アヤコはどうかな?」と吉田茂若尾文子に尋ねたらしい。若尾がどう返事をしたかは書かれてはいないが、黙って微笑返しするしかないだろうことは想像に難くない。この記事が出たのは昭和36年(1961)初頭のこと。昭和36年といえば「女は二度生まれる」「妻は告白する」「婚期」の演技によって主要な主演女優賞を独占した年である。シェパードが戦後、軍用犬から子供と仲良しで心優しく勇敢な犬へとイメージチェンジしたように、若尾文子も名実ともに第一線の演技派女優として変貌してゆく。