2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

鈴木清順「肉体の門」はなぜヒットしたのか?(4)〜場所の記憶、新宿帝都座から日活名画座へ

空気座の舞台「肉体の門」が初演された帝都座五階劇場を階上に含む帝都座は、日活映画の封切り館として昭和6年(1931)に完成した。新宿三丁目で現在は伊勢丹向かいのマルイ本店がある場所である。ムーランルージュ新宿座がオープンしたのも同年で、帝都座のほ…

鈴木清順「肉体の門」はなぜヒットしたのか?(3)〜昭和39年とはどのような年であったか

映画「肉体の門」が公開された昭和39年(1964)について語るには、その前年から話を始めたほうがいいかもしれない。キネマ旬報に1963年度の映画界を振り返った記事があり、テレビ普及率の増加と、映画観客動員数の急激な落ち込みから、1962年に東宝の藤本真澄…

鈴木清順「肉体の門」はなぜヒットしたのか?(2)〜舞台を再現した映画としての「肉体の門」

鈴木清順「肉体の門」は当初、浅丘ルリ子主演で企画された。同年9月に「肉体の門」よりほぼ四ヶ月遅れで公開されることになる団令子主演、恩地日出夫監督の「女体」も、田村泰次郎の小説「肉体の門」が原作だが、二作品共に映画化権を取得したのが同じ時期で…

鈴木清順「肉体の門」はなぜヒットしたのか?(1)〜肉体の門と獄門島、ストリップ前夜

昭和39年(1964)5月31日、東京オリンピック開催を目前に控えた時期に公開された「肉体の門」は6月17日まで続映を重ね、合計で18日間公開となり、監督の鈴木清順としては日活時代最大のヒット作となった。その理由を次に上げる四つの要素から多角的に探ってみ…