魔子幻想〜魔子の淵源を辿って

マコという呼び名は真理子や雅子、牧子などの三文字の名前を短くした愛称や名前として親しまれてきた。昭和に子供時代を過ごした人ならば、必ず周りにマコちゃんと呼ばれた子がいたはずだ。しかしひとたび漢字で魔子の字をあてると、平凡な呼称がにわかに不穏な気配が漂う不吉な名前となる。そんな「魔子」をタイトルにした小説を初めて書いたのが龍胆寺雄昭和6年(1931)のことである。同年には吉行エイスケと共に新宿に出来た新しいレヴュー劇場「ムーランルージュ新宿座」の顧問となるが、顧問に就任する前に二人揃って新宿に関するエッセイを書いている。吉行エイスケは「華やか、新宿繁昌記」、龍胆寺雄は「新宿スケッチ」と題するもので、共に銀座と並ぶモダンな都会、新宿に関する点描を流行の新興芸術派らしい才気走った文章でつづっている。龍胆寺雄の「新宿スケッチ」よりその一部を引用してみる。

かくして新宿は昼も夜も生活の渦だ。が、ーー待て。問題はこの「生活」にある。百貨店の新宿、カフェやレストラントの新宿、円タクの新宿、露天夜店の新宿、花屋と果物店の新宿、ストリートガールの新宿、映画の新宿、これをしも単に生活と云うべきか?然り!新宿に於いてはこれが生活なのだ。そこにはおのづから、浅草や銀座や神楽坂と異なった「巷」の雰囲気が出現する。

ここに書かれた百貨店とは三越、レストラントは中村屋果物店は高野で三越を除けば現在でも新宿でお馴染みの店である。映画館は武蔵野館で、このエッセイが書かれた当時はまだ無声映画全盛時代で徳川夢声が弁士をつとめ、大変な評判を集めて新宿名物となっていた。龍胆寺雄の小説「魔子」はまだ18歳の少女ではあるが、主人公である私と同棲していて産婦人科の病室場面から小説は始まる。魔子は身体的特徴としては「艶の良いゆたかな髪、ひどく派手で印象的な目鼻立ち、均整のとれた華奢な骨格」とされてていて、中でも眼の描写が微細を極めている。

眼が印象的で素晴らしく大きい。ちょっと野暮で下向いている睫毛は長い。非情にはっきりと彫みの深い二重瞼で、心持ち目尻が吊ってゐる。白味が神経質らしく蒼く燐色に光っている。何かしら悲しい深みを湛えた大きな黒瞳だ、こいつが長い睫毛の蔭で時々刻々色んな表情をしてゐる。

と、まだまだ続くのだが、ともかく魔子は眼が印象的で素晴らしく大きく、心持ち目尻が吊っているという動物を思わせる眼、いわゆる猫眼だったということだ。魔子は妊娠していることがわかると、食の好みが変わり果物ばかりを食べるとか、週二回も通っていたほどの熱狂的な映画好きだったものが、急に無関心になるなど嗜好や言動が気まぐれで、本能的に行動する動物を思わせる。つまり女というよりもメスに近い魔子に翻弄されながらも、マゾヒスティックに彼女の言いなりになる主人公の一人称小説は、龍胆寺雄の初期における代表的な短編であり、まだ戦争前のモダンだった新宿という街の記憶と合わせて、魔子という字面を持つ名前は当時の文学青年やインテリの、記憶のアーカイブに刻み込まれることとなる。

昭和20年(1945)に終戦となり、龍胆寺雄吉行エイスケが軽快な筆致で描いたモダン都市、新宿も焼土と化したが、程なく駅前にバラック建ての通称ハーモニカ横丁という飲み屋街が出来る。その素早さを思うと人間の飲酒への欲望は食欲、性欲に次ぐ第三の本能ではないかと疑われるほどだ。浅見淵の昭和文壇側面史によれば、新宿ハーモニカ横丁とは次のようなものである。

当時は高野果物店ならびにその隣りのパン屋の中村屋終戦の混乱に乗じて唐津組に占拠されていてまだ開店の運びにいたらなかった。その廃屋然とひっそりした高野のコンクリートの横壁に平行して、道路を隔ててバラック建ての片側町が焼跡に急造された。いずれも一間間口(一間は約1.8m、筆者注)の奥行き二間といった全く同じ型の店が、屋根を同じくして棟割長屋風に七、八軒立ち並んだ。(中略)まるでハーモニカの吹き口をならべたような街づくりだったので、いつだれが名付けるともなくハーモニカ横丁とこのあたりをみんなが呼ぶようになったのである。

名付け親は丹羽文雄らしいのだが、ハーモニカ横丁にたむろして夜毎に酒を酌み交わした作家たちがいた。田辺茂一のエッセイによればそのメンバーたるや錚々たる顔ぶれで、伊藤整高見順火野葦平梅崎春生江戸川乱歩井伏鱒二田村泰次郎上林暁井上靖柴田錬三郎吉行淳之介中野好夫内田吐夢三好達治草野心平村山知義吉田健一谷崎精二田中英光坂口安吾佐多稲子城昌幸らに加えて映画やラジオ放送関係者がいた。同じ新宿で例えるならば1960年代のゴールデン街を彷彿とさせるが、ゴールデン街と違うのは喧嘩沙汰の伝説が無いことぐらいだ。このハーモニカ横丁にその名も「魔子」という店があり、魔子と名のる女性が一人で切り盛りしていた。「魔子」という小説を知るものにとって、そのお店は戦前の華やかだった新宿の記憶と結びついて関心を引いた。ハーモニカ横丁の常連だった巌谷大四によれば、当時のジャーナリストや作家たちに人気があったそうだ。中でも「秋津温泉」の作者として知られる妻子持ちの藤原審爾がその女性に道ならぬ恋をした。その体験を元に書かれたのが藤原審爾の小説集「魔子」である。藤原は小説の中の江見という登場人物にこう言わせている、「魔子ちゃんの眼は綺麗だね」「その眼だけが好き」。

映画監督の渡辺祐介もこのお店「魔子」の常連だったに違いない。なぜなら彼は魔子と名乗る女優の名付け親だからだ。渡辺祐介は静岡高校時代に一級上の吉行淳之介と同人誌を出す文学仲間だった。その後吉行と同じ東大に進学しているが、旧知の間柄で共にハーモニカ横丁の「魔子」に通ったのだろう。吉行淳之介は父である吉行エイスケと親交のある、龍胆寺雄の小説「魔子」と同じ名を名乗る女性に興味を持つのは自然の流れだと思うからだ。龍胆寺雄が「眼が印象的」と書いた小説の中の架空の女性が、はたしてそこには実在していた。渡辺祐介は新東宝時代に脚本家からスタートしているが、三条魔子がまだその名をなのる前に、シークレットフェイスとして初登場した「金語楼の海軍大将」の脚本を書いているし、三条魔子を芸名として初めて出た映画「美男買います」も渡辺の脚本である。また自身の監督デビュー作である「少女妻 恐るべき十六才」にも三条魔子を出演させている。もっともそれだけの理由で渡辺祐介が三条魔子の名付け親だと強弁するつもりはない。渡辺は新東宝倒産後に東映に移籍しているが、昭和39年(1964)に監督した「二匹の牝犬」において、小川真由美の妹役を探していた。そのときテレビドラマ「廃虚の唇」に本名である小島良子で出ていた女優をスカウトし、緑魔子の芸名を付けて映画デビューさせたのが他ならぬ渡辺祐介だからである。三条魔子、緑魔子は二人ともに眼が印象的な女優である。渡辺監督は緑魔子のスカウトのきっかけについて当時の週刊誌でこう語っている。「目を見たとたんに、“あ、これだ”と思いましたよ」

三条魔子が映画界にスカウトされたきっかけは昭和33年(1958)にフランソワーズ・アルヌール主演のフランス映画「女猫」日本公開の宣伝を兼ねて催されたミス女猫コンテストにおいて約500人の応募者の中から選ばれたことによる。新東宝入りしてから最初の三本の出演作は、前述したように売り出しの宣伝作戦として、シークレットフェイスとしてクレジットされており芸名は明かされなかった。後のインタビューで「猫のイメージから魔子という芸名を付けられたけど、なんかスゴイ女みたいな感じがあって最初は馴染まなかった」と語っているが、「魔子」という小説があり実在の人物がいたことは、当人は全く知らなかったようだ。それよりも彼女の頭にあったのは、デビューの4年前である昭和29年(1954)に封切られた、やはり猫顔である根岸明美主演の「魔子恐るべし」があったのかもしれない。何しろ魔子恐るべしというくらいだからスゴイ女であることは確かである。


「魔子恐るべし」の原作者は宮本幹也といい、昭和8年(1933)、「サンデー毎日」の懸賞映画小説に入選し、その後、日活の多摩川撮影所脚本部に入社している。戦後は小説家となるが世代的には龍胆寺雄とさほどの違いはない。「魔子恐るべし」の魔子には、龍胆寺雄の書いた「魔子」像がかなり投影されている。小説「魔子恐るべし」の冒頭すぐに魔子の容姿に触れて、「大きな黒い瞳、長い睫毛」とあり、龍胆寺雄の描写した「眼が印象的で素晴らしく大きい。ちょっと野暮で下向いている睫毛は長い」から文学的要素を差し引いた、大衆小説的なわかり易い描写となっている。「魔子恐るべし」は新聞「東京タイムズ」に連載されたが、映画公開日と連載開始がほぼ同時なので、小説自体が主演である根岸明美を最初からイメージして書かれていることは間違いない。根岸明美日劇ダンシングチームに所属していたところをジョセフ・フォン・スタンバーグ監督に見出され、映画「アナタハン」でいきなり主役デビューした。当時の記事を見るとシンデレラガール扱いだが、外国人監督に見出されたということは、根岸明美が映画のモデルとなったアナタハンの女王、比嘉和子と同じく、つり目で外国人が思い描く東洋人のステレオタイプだったからだろう。主に外国映画で活躍した根岸と同時代の谷洋子と共通する眼だ。

昭和46年(1971)公開の「不良少女魔子」で主演した夏純子はその前年に、デビュー当時に緑魔子と比較され“第二のマコ”といわれた大原麗子と共に、「三匹の牝蜂」に出演しているのが目を引く。龍胆寺雄の「魔子」が女というよりもメス的だったように、タイトルに「牝」がつく映画に出演している女優は概して動物的な鋭い眼差しを瞳に宿している。緑魔子のデビュー作が「二匹の牝犬」だったように、野川由美子江波杏子梶芽衣子などがそうだ。夏純子が本名である坂本道子で出演したデビュー作「犯された白衣」において、最期まで生き残る看護婦役だったのはあの瞳を持っていたからこそだろう。「不良少女魔子」は龍胆寺雄の「魔子」やハーモニカ横丁の魔子とは直接の繋がりはないが、眼のイメージが時間をへだてて積み重ねてきた記憶の累積が感じられる。

龍胆寺雄はサボテン研究家としても知られていて、 昭和49年(1974)に出版された著書「シャボテン幻想」にはサボテンの魅力として以下の「怪奇な生態」があげられている。サボテンは植物にもかかわらず、這いまわること、危険から逃げ出すこと、空中でも生きること、擬態すること、とある。つまりは動物的な植物であることが龍胆寺にとってサボテンの魅力なのだ、それは彼にとって女の魅力がそうであるのと同様に。「シャボテン幻想」の書き出しはこう始まっている。

麻薬を、ここでは魔薬というあて字にすりかえたほうが、感じが出る。いったいこの魔薬の魅力というのは何だろう。いってみればそれは、ごく具体的な手段で、いきなり人間を、レアリズムの世界から逃避させて、ロマンティシズムの世界へと飛躍させる薬だといえばよさそうだ。

メスカリンなどの麻薬はサボテンの一種であるペヨーテの成分から作られた。魔子の魔は魔薬の意でもあったのだ。そういえば麻子(アサコ)をマコと呼ぶ愛称もあったことを思い出した。